お知らせ

合板百年記念行事

2007.11.14

日本合板工業組合連合会(会長 井上篤博)は、1907年日本で初の合板が製造されてから100年を迎えたことを記念して、2007年11月14日、東京グランドパレスホテルにて「合板誕生百周年記念式典」を開催した。

当日は、合板メーカーおよび業界関係者350人余に加え、若林正俊農林水産大臣ら多数の来賓が出席した。
合板が我が国の木質資材のなかでも広域な分野にわたって利用され、木材産業のなかでも先進的技術を取り込み今日を迎えたことを確認するとともに、今後の合板産業の発展を誓った。

産官学350名が集い、合板誕生100周年を祝う 主催者挨拶を述べる井上篤博日合連会長(中央)

 

主催者挨拶 日本合板工業組合連合会 会長 井上篤博(全文)

本日、ここに合板誕生百周年記念式典を開催いたしましたところ、若林農林水産大臣をはじめ、関係各位の皆様方におかれましては、政務・公務等ご多用中にもかかわらず多数のご臨席を賜り、厚く御礼を申し上げます。

合板誕生は、1907年に名古屋の浅野吉次郎氏がロータリーレースを発明されて合板生産に着手した時を発祥の年と致しております。本日はこのように百周年記念を迎えることが出来ましたことは、ひとえに先人の諸先輩方並びに本日ご臨席の皆様のご支援、ご厚情の賜と厚く感謝を申し上げる次第であります。

75周年記念式典を開催してからの25年間を振り返って見ましても、我が国合板業界は、関税引き下げ等による合板輸入の圧倒的増大により設備廃棄や工場閉鎖という過酷な状況に陥りました。
1980年には国産合板生産量は、約800万立方メートルで、自給率は99%であったものが、2002年には約270万立方メートルで、自給率は35%にまで減少いたしました。合板工場数も199工場から61工場に減少しました。
このような中で、合板製造業は、合成樹脂接着剤への転換による合板の耐久性、耐水性の改善、低ホルムアルデヒド合板、防虫・防蟻合板の製造技術開発、更に最近では耐震性、耐火性及び施工性に優れたネダノン等の厚物針葉樹合板の開発・普及を推進してまいりました。そして、新設住宅着工量が順調に推移する中で、合板自給率も2006年には、40%まで回復し、国産合板が、我が国の住宅の基幹的資材としての地歩を一段と高めることが出来ました。

昨年9月には「森林・林業基本計画」が改訂され、新たな国産材の用途別の利用目標量が策定され、合板用材は2015年までに前の計画の3倍の年間300万立方メートルとされました。昨年は、国産の合板生産用丸太の利用実績は114万立方メートルとなりましたが、日合連としては目標達成に向けて、引き続きスギ、カラマツ等の間伐材、小径木を合板原木として一層有効利用することにより、我が国の森林・林業の活性化及び地球温暖化対策に貢献していくことが責務と考えております。

このような日合連の取り組みに対して、本日の記念式典に当たり、農林水産大臣及び林野庁長官から感謝状を賜ることとなりましたことは、身に余る光栄であり衷心より御礼申し上げます。誠に、身の引き締まる思いであります。また、これまでの長きにわたり日合連の発展向上に様々な分野で多大なご貢献いただいている本日ご臨席の関係省庁、学識経験者、団体、企業等の全ての皆様にこの場をお借りして厚く感謝申し上げることができることも、私どもの大きな慶びとするところであります。今日的には、新設住宅着工戸数の急激な減少、ロシア未加工木材の輸出税の引き上げ、WTO及びEPA・FTA交渉、合板利用を目的とした国産材の安定的供給、合板性能の向上のための更なる技術開発の推進、合法証明材の供給による違法伐採対策等課題は山積しております。

本日を契機と致しまして合板業界の発展向上のため、協調と団結のもと業界の総意をあげてこれらの課題に取り組んでまいる所存ですので、行政ご当局をはじめ関係各位の皆様のより一層のご支援、ご協力をお願い申し上げます。

終わりに、日合連を代表致しまして改めてこれまでのご厚情に対しまして深く御礼申し上げますと共に、ご参会の皆様の今後の益々のご健勝をご祈念申し上げご挨拶と致します。

 

来賓挨拶 農林水産大臣 若林正俊様(全文)

本日ここに、合板誕生100周年記念式典が盛大に開催されますことを、心からお慶び申し上げます。はじめに、本日御列席の皆様方におかれましては、日頃より農林水産行政の推進に特段の御理解と御協力をいただいていることに対し、厚く御礼申し上げます。

合板は、建築物や家具などに幅広く利用されており、国民生活に欠くことのできない重要な資材であります。合板関係の皆様方には、戦後の復興期から現在に至るまで、合板の安定供給を通じて、国民生活の向上並びに経済の発展に寄与されてきましたことに対し、敬意を表する次第でございます。

我が国の国土の3分の2を占める森林は、地球温暖化の防止のほか、水源のかん養、国土の保全など多様な機能を有する「緑の社会資本」であります。このような森林の恩恵を将来にわたって享受できるよう、農林水産省では、昨年9月に閣議決定された新たな森林・林業基本計画に基づき、国民のニーズに応えた多様で健全な森林づくり、国産材の利用拡大を軸とした林業・木材産業の再生等に向けた施策を重点的に実施しているところであります。

また、京都議定書に定められた温室効果ガス6%の排出量削減という国際約束の達成に向け、「美しい森林づくり」を国民的な運動として展開しているところであります。こうした中、皆様方の技術開発などの御努力により、近年、スギなどの国産材が合板に大変多く使用されるようになってきておりますことは、間伐の推進などに大きく寄与し、「美しい森林づくり」の一端を支えているものと考えております。今後とも、合板業界をはじめ木材産業に関係する皆様の、間伐材等の利用拡大に向けた取組が必要不可欠であると考えておりますので、一層の御理解、御協力を賜りますようお願い申し上げる次第でございます。

結びに、合板業界の益々の御発展と、御列席の皆様方の御健勝を祈念したしまして、御挨拶とさせていただきます。

参考[関連記事]

・世紀を超えて生きる合板 合板誕生百周年記念式典(日刊木材新聞2007年12月5日、6日掲載)
・合板誕生100周年記念式典 350名出席し盛大に開催(日本住宅新聞2007年12月5日掲載)
・350人参加し合板誕生100周年記念式典開催(林材新聞2007年11月25日掲載)
・合板生誕100年を祝う 未来に進化する建材へ(林経新聞2007年11月22日掲載)

 

開会の辞 日本合板工業組合連合会
副会長  鈴木 智氏(中央)
主催者挨拶 日本合板工業組合連合会
会長  井上 篤博

若林正俊農林水産大臣(右)から
井上篤博日本合板工業組合連合会会長(左)へ農林水産大臣感謝状が授与された。
続いて、又賀航一同連合会顧問・理事へ農林水産大臣感謝状、
松元孝守同連合会理事へ林野庁長官感謝状が授与された。

農林水産大臣
若林 正俊様
日本木材輸入協会
会長  髙橋 渉一様
日本合板商業組合
理事長  吉田 繁様
閉会の辞 日本合板工業組合連合会
副会長  加藤 雄一氏

合板誕生100周年記念パーティー
記念パーティーに集い、合板誕生100周年を祝う 主催者挨拶を述べる日合連会長 井上篤博

 

日本合板工業組合連合会
日本合板産業政治連盟
会長 井上 篤博

「100年前の1907年、日本で最初の合板が誕生いたしました。この100年の歴史は、政治的、経済的な激動や社会的な大変化の中、また原木輸出国の製品輸出の圧力や合板輸入関税の引き下げという逆風にも関わらず、住宅・建設業界に資する業界として、国民生活の向上に尽くしてきた歴史でもあります。合板はその樹種が持つ短所を補い長所を生かす最高のエンジニアードウッドであること、このことは100年まったく変わりません。
一世紀、変わらない価値を持つ製品を生産し続けてきたことが、私ども合板産業の矜持なのであります。我が国は国土の約70%が森林で覆われている森林大国であるだけではなく、1950年第1回全国植樹祭が、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、荒廃地造林というテーマの下、山梨県で開催されて以来、農林水産省・林野庁の地道な力強いご努力のお陰で、今や世界有数の森林資源国にもなりました。日本の合板業界は、これからはこの豊富な森林資源を背景に、国産材、特に細く利用し難い間伐材や林地残材を主原料として有効に活用させていただき、日本の森林をますます元気にして、地球温暖化を招く二酸化炭素を大量に吸収する森林を育成することに精励して参りたいと思います。
これは同時に地域林業の振興と地域経済への貢献にも繋がると考えております。
また地震の多い我が国で、国民の生命と健康を守る安全な住宅を建設していただくために、耐震性、耐火性に優れた厚く強い合板を生産し供給して参りたいと思います。
地球環境を保護しながら住環境を充実させていくことをテーマに、1世紀を経てもなお変わらぬ価値を創造し続け、次の合板新世紀へ向けて、日本国のために、一意専心、合板事業にあたる所存でございます。」

衆議院議員 元農林水産大臣
野呂田 芳成 様
「わが国に合板が誕生してちょうど100年になったという大変節目のある年を迎えることができました。この間大変なご苦労があったと思いますが、合板性能の向上、合板の安定的供給のために業界の皆様の血の滲むような努力を重ねてこられたことに対して心から敬意と感謝を捧げる次第でございます。
私どもは合板産業振興のために些かでも寄与できればと考え、昭和58年に合板議員懇談会を結成しました。初代会長は竹下登さん、二代目は安倍晋太郎さん、三代目は羽田孜さん、四代目は相沢英之さん、そして私が5代目でございます。
合板の技術も進み、今や厚物構造用合板というのが開発されるようになり、杉やカラ松など国産材を原料とする合板が大変伸びて参りました。
井上篤博会長の会社、秋田プライウッドという立派な会社ですが、私も秋田出身でございますが、ここでも秋田杉を使っての先進事例としての合板産業が大変進んでいます。この間の国会で福田総理が住宅について大変熱く触れ所信表明で200年住宅構想を提言したわけですが、私は住宅産業、木材産業、合板産業にとって大変大事なことだと福田総理にお礼を言いました。頑丈な材料で長寿命の住宅を建設するということが日本にとって大変重要なことであります。井上篤博会長もおっしゃいましたが、合板は耐久性もあり耐震性もあり維持補修の際、材料交換も簡単という面もあります。私は200年住宅構想に沿って合板産業が大きな役割を担ってくれるものだと期待しております。」
衆議院議員 元農林水産大臣
玉澤 徳一郎 様

「私が昭和51年に当選をさせていただきましてから、すでに40年を経ようとしているわけですが、地元岩手県ではホクヨープライウッドさんを通して、自然と合板産業の推移を見て参りました。日本は国土の70%が山岳地帯ですが、外材に押され、森林の手当てもできず放置された状況にありました今年の予算において環境保全という観点から700億円を超える間伐対策が施行されるということになり、森林の蘇りや環境の蘇生を目指し、合板業界には国産間伐材をたくさんご利用いただきたいと思います。」

衆議院議員 元内閣官房長官 自由民主党幹事長代理
細田 博之 様

「資源希少時代が来ました。あらゆる資源が希少となりかつ地球温暖化の中、(木材は)本当に人類にとって貴重な原料となり我々の生活を支えてくれている訳です。我々の先達が合板を発明し今日に至るということは、 ノーベル賞受賞どころではないと私は思います。その先達に続き皆様が国民生活のために頑張っておられます。
我々政治家も団結して合板議員懇談会合い携え、皆様をお支えしていくことをお誓い申し上げご挨拶とさせていただきます。」

参議院議員 国民新党副代表
自見 庄三郎 様

「環境を考え間伐材を利用して合板を作り住宅に使われるわけですが、住宅政策もちゃんとしなければならない。これから、井上篤博会長を中心に新しい1世紀に、新しいことを求めていく、そしてこれは決して国際政治や国際経済と無縁でないと思います。
合板を作るということは立派な知恵で、その知恵をもって地球の大樹も森林もまた蘇り人類の宝となるわけですから、有効に木材資源を利用して、素晴しい次の100年を目指して、合板政治連盟が、井上会長の下に発展されることを心から祈念を申し上げまして、祝辞にかえさせていただきたいと思います。」

衆議院議員 前厚生労働大臣
柳澤 伯夫 様

「今日は合板というものが創造されてから100年という大変記念すべき機会に、本当に賑々しく大勢お集まりの上でこの祝賀会が催されていることにつきまして、合板議員連盟の一員の立場からも心からお祝い申し上げる次第でございます。ずっと森林や木材産業は非常に厳しい時代を過ごしてきたということも事実でございますが、最近は少し明るさが山の中に見え始めているということで私は非常に嬉しい現象だと考えております。」

衆議院議員 自由民主党組織本部団体総局長
二田 孝治 様

「秋田には木材産業の中核をなしております秋田プライウッドという会社がございまして、県内産業でも大変に大きなウエイトを占めておるわけでございます。
今年は秋田スギの間伐材を約30億円も現金で買ってもらっており、林業家の皆さんは大変喜んでおる次第でございます。また私ども自民党の選挙の応援も一生懸命やっていただいていてなお一層感謝申し上げなければならないと思う次第でございます。
井上二代目社長は、英語は得意でございますが秋田弁はちょっと不得意でございます(笑)。
それでもよく秋田弁を理解しながら秋田に来てご理解を頂いております。自民党団体総局長としては、どうかひとつその影響力を駆使していただき、次の戦いでのご支援を賜りますようお願い申し上げます。」

衆議院議員
竹下 亘 様

「私の兄、竹下登が、井上会長の先代さん又賀前会長の先代さんといろいろ懇談する仲で、合板業界にしっかりと国を支えてもらおうと、志を一つにしてやった仕事が日本合板議員懇談会の立ち上げでございました。私もその意思をしっかりと引継いで、この国がすばらしい国になるように、いい故郷をつくって子供たちや孫たちに堂々と引継いでいこうと、そういう思いでこれからも仕事をしていきたいと思っております。」

衆議院議員 元環境大臣
鈴木 俊一 様

「100周年という大変に長い歴史を重ねての式典に心からお祝いを申し上げる次第でございます。今日は先輩の玉澤徳一郎先生もお出ででございますが、私も同じ岩手県出身で、大変林業の盛んなところでございます。林業は川上から川下までしっかりと産業として繋がっていかなければならない中、合板産業が大変重要な地位を占めているわけで、その大切さを十分に存じ上げているところであります。国産材利用も進んでいる中で、今後合板業界が100年の歴史の上にたって、さらに隆々ご発展をされますように心からお祈りを申し上げます。」

衆議院議員
大村 秀章 様

「私も農林水産省林野庁にも在籍したこともございまして、当時水源税という仕事をやらせていただきました。皆様方と心一つにして上流下流一体となって、日本の山を守り、木材消費となる製材や合板産業をしっかりと振興していくというのが我々の努めだと思っております。」

前参議院議員 元外務副大臣
金田 勝年 様

「先般の選挙では、逆風の中にもかかわらず、合板業界の皆様からは本当に厚いお力添えを頂きました。そのご恩を忘れずにこれからも頑張らなくてはならないという思いを、井上篤博会長をはじめ皆様に一言申し上げたくて、ここに上がったというわけでございます。」

林野庁長官
辻 健治 様

「我国の木材自給率につきましては、少しずつではございますが上昇してきております。この最大の理由は、 合板業界で間伐等の国産材を使っていただいているということであります。林野庁では、今年度から6年間、地球温暖化防止森林吸収源対策ということで、これまでの35万ヘクタールの間伐をさらに20万プラスして毎年55万ヘクタールの間伐をやっていくということでございます。これを推進していくためには、間伐材をいかに使っていくかということが極めて重要であるわけで、合板業界の様々な取り組みにより、国産材とりわけ間伐材が一層利用されるように心からお願い申し上げたいと思います。」

国土交通省大臣官房審議官
小川 富由 様

「戸建住宅には構造用合板、マンション等には型枠合板という形で使って使わせて頂いており、環境問題や耐震改修ということで、合板に活躍して頂く機会が多く非常に期待をしています。2年前耐震偽装事件があり、設計や審査を厳格化するという改正基準法の施行が6月20日にございました。そうしたところ、設計側と審査側で所謂お見合い状態というようなことが起こり、いろいろと審査の誤解など運用の面での混乱がありました。現在全国の設計あるいは審査をしている方々に対し運用情報を十分周知徹底するよう励んでおります。
7・8・9月と住宅着工は落ちておりますが、戸建住宅については元に戻ってきているというお話も頂いており、マンション関係では構造のダブルチェックという案件が10月になって急増しております。今後は回復すると予想しています。」

社団法人日本林業協会会長
飯塚 昌男 様

「100年前に芽を出し、冬の寒さ、夏の暑さに耐えて、よく100年間頑張り抜きました。立派な大樹になりました。こんな喜ばしいことはございません。成長の過程では一時期ラワンを中心に取組まれておりまして、私どもやきもきしておりました。井上篤博会長にお会いするたびに『なんとか国産材を使えんかい』あるいは、『技術革新をして取組んでくれんかい』という要望をして参りましたところ嬉しい報告がありました。 『今、120万立方メートル位使っているぞ。これからもどんどん使うぞ。』と有り難い言葉が返ってきました。お話のように地球温暖化の問題で、森を整備することが吸収源対策として大きな課題になっています。また持続可能な林業経営をすることによって、空気・水・教育の場として森林が大きな効用をもたらすという意味合いから、この合板業界に私どもは大きな期待を持っております。当然のことながら、『そんなこと言ったって、ロットはどうなんだ、コストはどうするんだ』という宿題も預かっています。私ども林材界では、合板の皆さんの御要請に応えて『いくらでも木材を提供する。林野庁の協力を得て、うんと提供するから、どうぞ使ってくれ。』こういう返事をしているところでございます(拍手)。
次の100年間を目指し新しい一歩が始まりました。ご奮闘を心から祈念します。
 『合板業界が元気な事は山が元気を取り戻すこと、言わば故郷が元気を取り戻すこと』、それを合言葉に頑張っていきたい(拍手)。ご協力をお願いしたいと思います。」

乾杯挨拶 日本合板工業組合連合会(前会長)顧問・理事
又賀 航一 氏

「日合連をここまで支えていただきました関係者の皆様に厚く御礼申し上げますとともにこれからの新しい合板の100年に向かって、乾杯!」

中締め挨拶 日本合板工業組合連合会副会長
舩瀬 俊一 氏

「(日本で合板を最初に作ったとされる)浅野吉次郎氏という方は名古屋のご出身で、樽桶をやっておられた家に生れた方で、非常に手先が器用で、12~13歳の頃からタンスであるとか建具などを作っておられたそうです。17歳の頃に水車の動力を利用して精米機や製材機械を作っていたところ、20歳で会社を継ぎましたが、茶箱などは日本で作られインドなどへ輸出されており欧州から合わせ板、今の合板が入って来るようになって、日本製茶箱が売れなくなったとのことです浅野氏は、非常に苦心して単板を作り、その後に糊を作り、その糊を接着する機械を発明しながら最後は合板を作るところまでいったそうです。
 また内地の木を使っていたが原木不足から、北海道の雑木で作り始め、それでも駄目だということで、植林木を材料としたものを作らざるを得ないと考えたそうで、環境の問題や木材の最大有効利用を100年前に非常に強い意志でもって考えていたということは、我々合板業界の誇りであると思います。100年の合板産業は一重にここにおられます原木輸入、接着剤、機械など皆様の強いサポートとお力添えがあってここにきていると思います。」